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2009年1月の6件の記事

2009年1月30日 (金)

◆政治情勢レポート(4)◆2009年1月30日

 ●落ち続ける麻生内閣支持率

 麻生内閣の支持率はすでに昨年末、危険水域に突入していたが、さらに落ち続けている。

 毎日新聞(1月24-25日実施)と日本経済新聞(1月23-25日実施)が実施した最新の全国電話世論調査によると、麻生内閣の支持率はともに19%と、昨年12月の前回調査よりもともに2ポイント下落した。

 今年に入って行われたこれ以前の調査でも、朝日新聞(1月10-11日実施)が19%(前回12月調査より3ポイント下落)、読売新聞(1月9-11日実施)が20.4%(同0.5ポイント下落)、共同通信(1月10-11日実施)が19.2%(同6.3ポイント下落)、産経新聞(1月10-11日実施)が18.2%(前回11月調査より9.3ポイント下落)と、軒並み20%を割っており、麻生内閣は20%を下回る支持率が定着している。

 内閣支持率が20%を割り込んだのは、各種調査でばらつきがあるものの、おおよそ森政権末期の2001年2月以来。この2カ月後、森喜朗首相は退陣しており、20%以下の支持率は、首相がいつ政権を投げ出してもおかしくはない水準だ。

 ●東京都議選7月12日、衆院選とのダブルは回避

 内閣支持率が危険水域に達する中、麻生首相はいつ衆院解散・総選挙に踏み切るのか。その鍵を握る一つの要素が、7月22日に任期満了を迎える東京都議会議員選挙の日程だ。

 東京都選挙管理委員会は1月21日、東京都議会議員選挙の日程を7月3日告示、同12日投開票と決めた。都選管は当初、5日投開票を軸に検討したが、1週間先延ばしにすることになったという。

 この背景には、都議選の時期を衆院解散・総選挙とできるだけ離したい公明党の意向が強く働いているとみていい。一週間先延ばししたところをみると、公明党は都議選前、具体的には2009年度予算と関連法成立後の衆院解散を想定しているらしい。

 候補者の全員当選に向けて都議選に集中したい公明党は当初、昨年中の衆院解散・総選挙を切望していた。しかし、世界的な金融危機を受けて麻生太郎首相が解散をためらっているうちに越年したため、2009年度予算と関連法成立から間を置かないうちの解散が現実味を帯び始めている。予算は08年度内の3月中には成立するとしても、関連法の成立は野党が参院での採決を先送りして抵抗すれば4月にずれ込む可能性がある。それを待って麻生首相が解散に踏み切ったとしたら、総選挙は5月中旬以降になる。

 都議選が当初の予定通り7月5日だとしたら、総選挙後からの時間は1カ月余りしか残されていない。公明党とその支持母体である創価学会としては、できるだけ選挙準備期間を確保するため、たとえ一週間でも都議選を先延ばししたかったのだ。

 7月12日なら、その直前までイタリアでマッダレーナ・サミットが開催されていて、首相が日本を留守にすることもあり、可能性は低いとしても、都議選と衆院選のダブル選挙を避けられる。

 衆院選が都議選の前に終わってしまえば、都議選が「政権選択選挙」のようにはならず、今吹きまくっている公明党への逆風を、多少なりとも弱められるという思惑もあるだろう。

 ただ、公明党の思い通りに事が運ぶと考えるのは早計だ。予算と関連法が成立しても内閣支持率が低迷したままなら、麻生首相は解散をためらうかもしれない。政権交代の可能性が高いなら、福田康夫前首相のように、せめてサミットに参加したいと思うのも至極当然だろう。

 そうなれば解散はさらに遅れ、9月10日に任期満了に限りなく近づくかもしれない。その場合には、追い込まれ解散、もしくは解散権すら行使できず、三木武夫内閣以来戦後二度目となる任期満了による選挙になり、政権交代の可能性はますます高くなるというジレンマに陥る。

 ●葬り去られた2011年度の消費税率引き上げ

 一方、予算と関連法が成立すれば、自民党内で「麻生降ろし」が一気に加速するかもしれない。新しい総理・総裁の下で衆院選になだれ込んだ方が、これまでの経験上、自民党に勝機が開けるかもしれないからだ。 その場合、9月の自民党総裁選を前倒しして行い、新しい総裁・首相の下で解散・総選挙に臨むことになる。

 すでに麻生降ろしの芽は出つつある。その顕著なものが消費税をめぐる自民党内の混乱だ。

 麻生首相は2011年度からの消費税率引き上げる考えを明言していた。これは、たとえ有権者に痛みを強いる政策でも、国家国民のためなら政治家の責任で断行するという「責任政党」としての立場を示し、かつて消費税率引き上げを公約しながら、その後引っ込めた民主党の「無責任」ぶりをあぶり出すことで、次期衆院選を有利に戦おうという戦略でもあった。

 麻生首相は昨年12月12日の記者会見で、「経済状況をみた上で3年後に消費税の引き上げをお願いしたい。2011年度から消費税を含む税制抜本改革を実施したい」と強調。12月末に閣議決定した、税財政抜本改革の道筋を示す「中期プログラム」は「経済状況好転を前提に、消費税を含む税制抜本改革を11年度から実施できるよう、必要な法政上の措置を講じる」と踏み込んだ。

 しかし、消費税率引き上げ公約が次期衆院選で逆風になることを懸念した自民党議員が猛反発し、税制改正法案の国会提出を了承するにあたって、付則に「経済状況好転を前提に、消費税を含む税制抜本改革を行うため、11年度までに必要な法政上の措置を講じる」と書き込み、11年度からの消費税率引き上げを事実上、封印してしまったのだ。

 麻生首相は1月22日、消費税率引き上げをめぐる政府と自民党との調整が決着したことを受け、「私がずっと申し上げてきた方針が理解されてよかった」と強弁したが、首相の方針が与党内の反発で棚上げされたことで、首相の求心力、指導力のなさが露呈してしまった。

 ●広がる自公の亀裂

 消費税率引き上げを目指す麻生首相の方針は、自民党内の「反乱」以前にも、公明党とも摩擦を起こしていた。「中期プログラム」の内容をめぐる与党内の調整は、12月23日未明になってようやく決着したが、消費税率引き上げをめぐる文言は、2011年度からの引き上げを明記したい麻生太郎首相の意を汲んだ自民党と、景気回復を税率引き上げの前提条件にしたい公明党との間で調整がつかず、結局、どちらとも解釈できる「玉虫色」の表現で落ち着いた。

 国の基本政策である消費税のあり方をめぐって、自民、公明両党の考え方の違いが明確になったことは、麻生内閣の支持率低迷を受け、与党内がすでに一枚岩でなくなっていることを表す象徴的な出来事となった。

 ●選挙協力でも緊張

 与党内が分裂含みであることの象徴的な出来事は、これだけではない。古賀誠選挙対策委員長の発言をめぐり、自公両党間の緊張が一気に高まっていたからだ。

 問題の発言は、12月15日夜行われた自民党選挙対策委員会委員との会食で飛び出した。古賀氏は席上、次期衆院選比例代表について「自民党の政策で戦わなければ(党組織が)弱体化する」と指摘。さらに、翌16日の自民党役員連絡会では「比例で他党への投票を求めるのはおかしい」と述べた。

 自民党は1998年に公明党と連立政権を組み、その後、初めてとなる2000年の衆院選以降、公明党が候補者を立てない選挙区では、自民党候補が小選挙区で支援を受ける見返りに、「比例代表は公明」と呼びかける選挙戦術を展開してきた。古賀氏の発言は、これを見直そうというものだ。

 背景には、2007年の参院選での歴史的大敗以降、自民党の党勢の落ち込みが深刻になってきたことがある。それまでは、「比例代表は公明」と呼びかけても、自民党の比例票は多少の落ち込みはあるものの、選挙結果にそれほど影響しなかったが、与党への逆風の中行われる次期衆院選で「比例代表は公明」と訴えて選挙戦を戦えば、自民党の比例代表は壊滅的な打撃を受けるだろうことが必至だからだ。つまり余裕がなくなったのだ。

 しかし、小選挙区での候補者を絞り込んでいる公明党にとって、比例代表での議席獲得は党存立の命綱でもあり、自民党支持者の協力は不可欠だ。このため、古賀発言に対し、公明党の太田昭宏代表は12月20日、民放テレビの報道番組で、「公明党は比例代表が衆院選で一番大事で、(党員・支持者は)1票でも多くとお願いしている。それをシャットアウトするというニュアンスであれば、とんでもないという感情をみんな持った」と批判した。

 太田氏によると、古賀氏から太田氏に対して「代表にもご迷惑をかけた」との釈明があったといい、自公間の選挙協力はこれまで通りということで落ち着いたが、両党間にそれぞれ不信感を残したことは容易に想像できる。

 麻生首相は12月22日、太田氏の選挙区である東京12区内で開かれた自民党支部の会合に、太田氏とともに出席し、両党の結束をアピールしたが、いまさらながら、そんなことをしなくてはいけないことが、両党間の距離の広がりを象徴している。

 自民、公明両党による連立政権ができて、はや10年がたとうとしている。両党間の連立は当初、政策の一致というよりも、自民党の参院過半数割れに伴う国会対策の円滑化という目標が先行していた。つまり、政権維持の優先順位が高いのだ。今回の与党内の混乱は、そうした「大義」なき政権の制度疲労を如実に表している、とも言える。

 ●揺れる最大派閥・町村派

 消費税をめぐる与党内の混乱は、2009年度税制改正法案の付則をめぐる攻防が決着したことで一段落したが、その「余震」が、自民党最大派閥・町村派を襲っている。ことの発端は、同派の代表世話人を務める中川秀直元幹事長が麻生首相に批判的な言動を繰り返し、同派最高顧問の森喜朗元首相が中川氏に代表世話人を辞任するよう迫ったことだ。

 中川氏は森内閣で官房長官を務めるなど、森氏とは蜜月関係を維持してきたが、昨年9月の自民党総裁選では、森氏は安倍晋三元首相、町村信孝元外相らとともに麻生氏を推したのに対し、中川氏は小池百合子元防衛相を担いだことから関係が悪化。さらに、中川氏は消費税率引き上げ問題で、反麻生的言動を繰り返したことから、森氏は中川氏に我慢ならなかったようだ。

 中川氏は1月28日、派内の中堅・若手議員との会合で、代表世話人にとどまる考えを表明したが、小泉構造改革の継承を掲げる中川氏と、代表世話人の一人である町村氏との対立は、総裁候補の座も絡んでくすぶり続ける。

 福田派、安倍派、三塚派、森派、町村派と続く系譜は、福田赳夫氏の後、長らく政権の座から遠ざかっていたが、森氏の首相就任後は4代続けて首相を出し、それに伴って自民党最大派閥に躍り出た。かつて最大派閥だった田中派、竹下派は、恒星が一生を終える前のように大きく膨張した後、分裂した。町村派も田中派、竹下派と同じ運命をたどるのだろうか。

 ●地方の反乱

 1月25日に投開票された山形県知事選は、野党系新人候補が、自民党の大半の支援を得た現職候補を破った。

 麻生首相は「(政権への批判とは)全く感じない」と静観を決め込んだが、保守王国・山形での与党系現職の敗北は、自民党の支持低迷を印象づけている。

 東京都議会議員選挙が行われる7月12日以前にも、千葉県知事選(3月29日投開票)、秋田県知事選(4月12日投開票)、名古屋市長選(4月26日投開票)、さいたま市長選(5月24日投開票)など、県知事選や政令指定都市市長選が行われる。

 民主党はこれらの地方選でも、自民党との対決を強めており、候補者選定にあたっては相乗りを禁じ、独自候補の擁立を目指している。

 これらの選挙で、野党系候補が連勝すれば、次期衆院選での政権交代ムードが一気に高まるのは間違いない。麻生首相としては、地方選で与党系候補が連敗するような事態になれば、衆院解散をさらに先送りして、逆風がやむのを待つしか手がなくなる。

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2009年1月27日 (火)

東京都議選日程と衆院解散・総選挙

 既報だが、東京都議会議員選挙の日程が、7月3日告示、同12日投開票の日程で決定した(1月21日)。

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyo23/news/20090122-OYT8T00118.htm?from=navr

 報道によると、都選挙管理委員会は当初、5日投開票を軸に検討したが、1週間先延ばしにすることになったという。

 この背景には、都議選の時期を衆院解散・総選挙とできるだけ離したい公明党の意向が強く働いているとみていい。一週間先延ばししたところをみると、公明党は都議選前の衆院解散を想定しているらしい。

 都議選に集中したい公明党は当初、昨年中の衆院解散・総選挙を切望していた。しかし、麻生太郎首相が解散をためらっているうちに越年し、2009年度予算と関連法成立から間を置かないうちの解散が現実味を帯び始めている。予算は08年度内の3月中には成立するとしても、関連法の成立は4月にずれ込む可能性があり、それを待って麻生首相が解散に踏み切ったとしたら、総選挙は5月中旬以降になる。

 都議選が当初の予定通り7月5日だとしたら、総選挙後からの時間は約1カ月間しか残っていない。公明党とその支持母体である創価学会としては、できるだけ準備期間を確保するため、たとえ一週間でも都議選を先延ばししたかったのだ。

 7月12日なら、その直前までイタリアでマッダレーナ・サミットが開催されていて、首相が日本を留守にすることもあり、可能性は低いとしても、都議選と衆院選のダブル選挙を避ける意味合いもあった。

 ただ、公明党の思い通りに事が運ぶと考えるのは早計だろう。予算が成立しても内閣支持率が低迷したままなら、麻生首相は解散をためらうかもしれない。政権交代の可能性が高いなら、福田康夫前首相のように、せめてサミットに参加したいと思うのも至極当然だろう。

 そうなれば解散はさらに遅れ、9月10日に任期満了に限りなく近づくかもしれない。その場合には、追い込まれ解散、もしくは解散権すら行使できず、戦後二度目の任期満了による選挙になり、政権交代の可能性はますます高くなるというジレンマに陥る。

 一方、予算が成立すれば、自民党内で「麻生降ろし」が一気に加速するかもしれない。新しい総理・総裁の下で衆院選になだれ込んだ方が、これまでの経験上、自民党に勝機が開けるかもしれないからだ。 

 いずれにせよ、今年の政局の焦点の一つだった都議選の日程が決まった。今後は、与野党間で、都議選の日程をにらみながらの駆け引きが活発になることだろう。

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2009年1月26日 (月)

オバマ政権誕生と日本

 麻生太郎首相のあまりの体たらくぶりに、ブログに書き込む気力をなくして、しばらく休筆していましたが、あまり休むのも筆が鈍るので、気力を振り絞って久々に書くことにしました。この間もブログを訪問していただいた「読者」の皆様にはお詫びと感謝を申し上げます。

                        ◇

 米国のオバマ上院議員が現地時間の1月20日、第44代大統領に就任した。サブプライムローン問題に端を発する世界的な金融危機、景気交代の中、ハニームーンと呼ばれる就任後100日間の間に、どこまで成果への道筋をつけることができるのか、当面はお手並み拝見というところだ。

 オバマ大統領就任直前の支持率は80%超と非常に期待は高いが、問題を克服するのは容易ではない。期待が高い分だけ、それに見合うような成果が上げられなければ、落胆へと変わる。オバマ政権は出だしは順調に見えるが、いつ政権の危機にひんするともしれない、危うい船出と見るのが妥当であろう。

 そうした中、日本としてはどのようにオバマ政権と向き合うべきか、という議論が研究者らを中心に活発だ。それらを聞いてみると、おおむね、日本としては日米関係がどうなるのかということよりも、どうすべきかを考えるべきだ、という論調が目立つ。まさにその通りだ。

 これまでのような米国偏重の外交を継続するのか、日米同盟関係は維持しつつ、アジア外交にも軸足を移すのか、そろそろ国会を巻き込んだ議論があってもいい時期なのだが、国会からはいっこうにこうした議論は聞こえてこない。その原因はもちろん、麻生太郎首相による衆院解散先送りに伴う、麻生政権のレームダック状態にある。

 9月までには必ずある衆院選では政権交代があるかもしれず(その可能性は高いとみた方がいいのだが)、そうした不安定な状況では、米国政府も日本政府を相手に腰を据えた議論はできないのではないだろうか。

 特に、オバマ大統領が重視するアフガニスタンの治安回復活動に、日本政府がどう取り組むのかに関しては、自民、民主両党間の考え方の違いが大きい。アメリカ政府にしてみれば、麻生政権を相手に話をすればいいのか、小沢民主党とどの程度話をすればいいのか、とまどうところだろう。米軍再編問題でも、麻生政権との間で詰めたところで、選挙で政権が交代してしまえば、軌道修正しなければならなくなるかもしれない。

 オバマ政権発足に伴い、日本政府は太平洋の同盟国として、国際的な問題にどう対応していくのか、米側と突っ込んだ議論をするためには、日本側も早く政治的に安定した政権をつくるべきだろう。いくら衆院議員としての任期が残っているとはいえ、その時期はとっくに過ぎているはずだ。

 麻生首相は大相撲初場所千秋楽で、優勝した朝青龍関に賞状と優勝杯を渡し、土俵上で「横綱はやっぱり強くなくっちゃ」と脳天気に言っていた。けがをしながらも鬼気迫る土俵で優勝した貴乃花関に「痛みに耐えてよく頑張った、感動した」と絶叫した小泉純一郎元首相の向こうを張ったつもりかもしれないが、役者が違う。両者の内閣支持率は比較にならない(もちろん麻生内閣の方が格段に低い)。

 こうした弱体政権が居座り、衆院選を先延ばしにすればするほど、日本の国際的地位は下がっていくだろう。麻生政権の延命は、それ自体が国益を毀損しているのである。

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2009年1月 6日 (火)

「湯浅誠」は日本のオバマになれ

 自民党の坂本哲志総務政務官が「年越し派遣村」に集まった失業者らについて「本当に真面目に働こうとしている人たちが集まっているのかという気もした。学生紛争の時の戦略のようなものが垣間見える」と発言。野党などから厳しい批判を浴び、翌日になって撤回した。

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090105/plc0901052135010-n1.htm

http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090106/stt0901061116005-n1.htm

 この発言に接して、自民党議員の認識はこの程度なのだろうという思いをさらに深くした。自民党の中には、必死になって現状を打開しようとしている議員がいることは承知しているが、坂本氏の程度の議員が党内で幅をきかせるようでは、自民党の命脈も長くはあるまい。自民党は自ら「国民政党」を称し、これまで保守政党にしては行き過ぎと思えるほど、社会主義的な政策をとり続けてきたが、ようやく地金が現れてきたような気がする。

 実は私自身、「年越し派遣村」に集まった人たち、運営に当たった人たちが期間後、どう行動するか注目していた。ひょっとしたら、このまま厚生労働省の講堂や日比谷公園を占拠するのではないかと。そのようなことがもしあれば、派遣村の活動は、それこそ坂本氏が「学生運動の時の戦略」と指摘するような、冷戦時代の「階級闘争」的な思考を引きずった旧態依然の左翼活動と同列ということになる。

 しかし、実態は正反対で、報道によれば、期限の5日に閉村、退去が粛々と行われ、集まった人たちは新しい宿泊所に移っていったという。これは、ボランティアの活躍に加え、派遣村の村長を務めたNPO「自立生活サポートセンターもやい」事務局長の湯浅誠氏らの指導力によるところが大きいと思う。

 米国のオバマ次期大統領はハーバード大学出身のエリートでありながら、シカゴの貧困地域でコミュニティ・オーガナイザーとして貧しい人たちの救済に悩み苦しみながら努力した。今、国民の代表である政治家に求められるのは、そうした現場での経験ではないのだろうか。

 坂本氏のような冷戦時代の思考を引きずり、かつ現場を見ようともしない政治家には、一刻も早く国政の場から去ってほしいと思う。このような自称政治家が自民党を、日本政治を悪くしているのだ。そして、湯浅氏のような現場で悩み苦しんだ人物がさらに成長して、国政の場に参画してほしいと思う。

 あえて言わせてもらおう。「湯浅よ日本のオバマになれ」と。

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2009年1月 4日 (日)

麻生首相記者会見の空疎さ

 麻生太郎首相が1月4日、年頭の記者会見を首相官邸で行った。近年、恒例行事となっているもので、通常国会冒頭の施政方針演説と並んで、首相がこの一年、この国の政治をどう舵取りをするのか、その心構えを披露するものだ。

 しかし、麻生首相の会見内容は乏しいものに終わった。

 まず首相は記者会見の冒頭、毛筆を手に取り、「安心活力」と揮毫し、披露した。首相はこの文字に、自らの思いを託したつもりだろうが、当たり前すぎて何のメッセージも伝わってこない。

 さらに首相は、衆院解散・総選挙に関し「解散は総理大臣、麻生太郎が決断する」と、自らの手で衆院解散・総選挙に踏み切る考えを強調したが、それ以上、首相の口から具体的な政策が披露されることはなかった。

 今、日本経済は金融危機の余波で雇用情勢が厳しさを増している。こんな時には、具体的な政策とともに、将来に向けた力強いメッセージが求められている。明るい将来像があるからこそ、厳しい現状を乗り越えようという気力も沸いてくるというものだ。そうしたメッセージを発する第一の責任は政治家、特に首相にある。

 その首相から何ら将来像が聞かれず、自分の手で解散することが唯一のメッセージだとしたら、情けない限りだ。揮毫のパフォーマンスなど、ない方がましだった。

 宰相の座の投げ出しによる政権たらい回しが続いている中、事態打開の唯一の策は、政権選択を国民、有権者の手にゆだねることだが、麻生首相は2009年度予算成立後の今春まで、衆院を解散する気はないらしい。だとしたら、1月5日から始まる通常国会では、与野党が未来に向けたメッセージを発し、侃々諤々の議論をしてほしい。それが麻生首相が政権を担うことによる政治空白を、多少なりとも埋めるせめてもの策となるだろう。

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2009年1月 3日 (土)

年頭に思う

 あけましておめでとうございます。このブログを開設して3カ月あまりがたちました。トップページをブックマークして定期的に訪問していただいている「読者」の方もいらっしゃるようで、つたない文章にお付き合いいただき、ありがたい限りです。年末年始は書き込みをお休みしていましたが、今年も初心に立ち返り、思うままに書きつづりたいと思いますので、よろしくお付き合いのほどお願いいたします。

 この3カ月余りの間、早期解散を期待されて麻生太郎自民・公明連立政権が誕生したものの、金融危機の深刻化で衆院解散・総選挙は先送りされ、日本政治をめぐる現在の構図は当面、続くことになりました。その一方で、雇用問題は深刻化し、日比谷公園には「派遣村」が開設され、厚生労働省の講堂が職を失った派遣労働者に開放されるなど、寒々しい光景が都心で広がっています。

 この光景は、経済のグローバル化に伴う必然の結果なのでしょうか、それとも政治の貧困の結末なのでしょうか。もちろん、景気の低迷で、ある程度の痛みは覚悟せざるを得ないにせよ、私には、後者の比重が重いように思えてなりません。もしそうだとしたら、その責任は私たち自身にあります。

 私たち日本国民は1955年以降、基本的に自民党政権を選択してきました。1993年に誕生した細川「八党派連立」政権も、主導した小沢一郎新生党代表幹事、首相になった細川護煕日本新党代表が自民党出身者であることを考えれば、基本的に亜自民党政権といえるでしょう。

 過去の自民党政権は、疑似社会主義政権だったと、私自身は思っています。国民皆保険制度、食糧管理制度、終身雇用制、金融機関の護送船団方式などはその典型です。もちろん、そのような政策の源流は1940年の戦時体制にあることは否定できませんが、政府がそのような政策をとった背景には、社会党という社会主義政党が一定の力を保っていたことと切り離して考えることはできません。自民党という保守政党が大企業よりだったとはいえ、その政策は社会党との妥協の産物だったわけです。

 それが一変した契機は、東西冷戦の崩壊による社会党の凋落、橋本龍太郎自民・社民・さきがけ連立政権崩壊後の小渕恵三自民党単独政権の復活だったのではないでしょうか。実際、現在問題となっている労働者派遣法の大幅改正は1999年から始まっています。つまり歯止めを失った自民党の暴走は、小泉純一郎政権以前からすでに始まっていて、有権者はそれに気づかず、自民党が昔ながらの亜社会主義政党と勘違いして投票し続けていることになります。

 現在深刻化している雇用問題の原因は、政府の政策にあることは間違いないのですが、その究極的な責任はわれわれ有権者自身にあります。つまり自分たちの責任を棚上げにして政府の責任を追及することは、天につばをするようなものです。以前、このブログでも書いたように、問題は、政治不信ではなく、政治過信にあります。

http://yoichitoyoda.cocolog-nifty.com/seiji/2008/09/post-44b1.html

 つまり政府というものは正しい政策をするものだという過信が、自民党政権の誤った政策を継続させているのです。英国の宗教弾圧から逃れた歴史的経緯から、政府を信用していないアメリカでは、政府はできるだけ小さい方がいいと一般的には考えられています。これが自由放任の経済思想を生み、現在の金融危機の元凶となっていますが、経済発展の原動力となったことは間違いありません。

 ただ、私は今回、雇用問題の深刻化の中で一筋の希望を見ました。それは各自治体が解雇された派遣労働者に雇用を作り出したり、公営住宅を提供したりしていることです。動かない国に先んじて、雇用問題を地域の問題ととらえ、独自の政策を打ち出していることは、地方分権、地方主権の芽になると思います。もちろん政策の妥当性の問題は残るでしょうが、思考なきところに独創性は生まれません。

 幸い私たちは、民主主義国家に生きています。来るべき総選挙では、誰にも弾圧されることなく、自由な一票を投じることができます。そして、その一票は当然、責任がつきまとうものです。そのことを肝に銘じて、各政党の政策を慎重に見極め、自分自身の見方、考え方を書きつづっていきたいと思います。

 今年1年、よろしくお付き合い願います。なお、ご意見は左上にあるプロフィール欄を開いていただき、「メール送信」をクリックしていただければ、お寄せいただくことができます。

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