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2008年10月の10件の記事

2008年10月30日 (木)

解散攻防の背景に政党助成金

 麻生太郎首相がきょう30日に記者会見し、追加経済対策を発表するとともに、衆院解散を年明け以降に先送りすることを正式に表明する。

 これはあくまで推測だが、首相が「年内は解散しない」と明言することはないと思う。これまでのように「政局よりも政策」「金融危機が実体経済に影響しないようにすることが重要」などの表現で、解散先送りを「事実上」表明することになるのではないか。なぜなら、首相にとって、解散権は首相の大権であり、わざわざ手の内を明かす必要はないからだ。麻生首相は特に、そうした思いが強いと思う。

 それはともかく、首相が解散先送りを表明することで、政局は新たな局面に入るが、年内解散見送りは結局、政党助成金(交付金)狙いに思えてならない。なぜなら、政党助成金は毎年1月1日時点の議員数と直近の衆参両院選挙の結果で決まるからだ。

 自民党に2008年に交付される政党助成金は約158億円。2007年が約166億円だから、8億円減った。これは、自民党が2007年夏の参院選で惨敗し、参院議員数と参院選での得票数が減ったためだ。

 一方、自民党は2005年の衆院選で歴史的圧勝を果たし、この勝利により、2006年の政党助成金は、2005年よりも10億円増えている。

 麻生首相の現在の内閣支持率や、自民党の政党支持率では、自民党が次の衆院選で前回並みの議席を確保することはあり得ず、議席の大幅減は避けられない。そうなれば政党助成金も大幅に減らすことになる。過去の選挙結果から言えば、今の自民党の党勢では政党助成金の減額幅は10億円以上になるだろう。

 問題はその時期だ。政党助成金の決定はあくまで1月1日現在の議員数と得票数が基準であるため、年内に衆院選を断行して惨敗すれば、来年から政党助成金が減らされるが、衆院選を来年に先送りすれば、惨敗しても政党助成金の減額は再来年からになる。つまり、解散を先送りすれば、現在交付されている政党助成金の額を1年間維持できるのだ。

  逆に、民主党からしてみれば、年内の総選挙で議席を増やせば、来年から政党助成金が増えるのに、解散が年明けになれば、政党助成金の増額も再来年からになってしまう。解散をめぐる攻防の背景には、政党助成金をめぐるぶつかり合いもあるのだ。

 とはいえ、解散権は麻生首相が握っている。世界的な金融危機に対応する必要性は認めるが、年内解散見送りの背景に、政党助成金のことがあるとしたらいただけない。首相の「経営感覚」は一政党のために使わず、国民のために役立ててもらいたいものだ。

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2008年10月28日 (火)

◆政治情勢レポート(2)◆2008年10月28日

 ●年内解散見送り

 麻生太郎首相が年内の衆院解散・総選挙を見送り、年明け以降に先送りする意向を固めざるを得なくなったようだ。10月30日に追加経済対策を表明する記者会見で、解散見送りの意向を正式に表明する見通しだ。

 なぜ、臨時国会「冒頭」での解散を模索していた首相が、解散先送りを固めざるを得なくなったのかは、10月25日付けの前回「政治情勢レポート(1)」で詳述したとおり、自民党総裁選効果が思わしくなかった上に、金融危機が深刻化したためである。

http://yoichitoyoda.cocolog-nifty.com/seiji/2008/10/20081025-9c29.html

 ただ、この決断は麻生首相の政権運営をさらに困難にするだろう。

 ●攻勢強める民主

 その第一は、対野党、特に民主党との関係だ。

 民主党はこれまで、首相に早期解散を促すため、2008年度補正予算案やインド洋での給油継続法案の審議に協力してきた。解散見送りとなれば、民主党がこれに反発して、国会運営に協力しなくなるのは確実だ。そうなれば、補正予算はすでに成立したものの、参院で審議中の給油継続法案の早期成立は困難になる。

 民主党が、以前のような抵抗姿勢で国会審議に臨み、野党が多数を占める参院で採決に応じなければ、予算は衆院通過後30日後に自然成立するものの、他の一般法案は、60日間待ち、参院で否決されたものとみなす「見なし否決」規定に基づいて衆院で三分の二以上で再可決しなければならない。

 給油継続法案は10月21日に衆院を通過しており、60日経過後は衆院での再可決が可能になるが、11月30日までの臨時国会の会期を延長しなければならず、たとえ来年1月15日の期限切れ前に給油継続法案の再可決が可能になっても、国会開会中は民主党から激しい攻撃を浴びせられ、内閣支持率の低迷は一層顕著になるだろう。同様のことは、来年1月召集予定の通常国会でも起きる。

 ●変わる公明党との関係

 政権運営が困難になるもう一点は、公明党との関係だ。

 公明党は来年6月か7月に行われる東京都議選の選挙運動に集中するため、衆院選を年内に行うよう主張してきた。首相がこうした意向に答えられなくなれば、連立関係にも大きく影響するのは間違いない。

 公明党の支持母体・創価学会内には、自民党との連立政権の中で、暮らしや平和重視という公明党の存在意義に関わる政策課題で主張が反映されていないのではないのではないかという不満が、もともと強くあった。その上、解散時期でも党の意向を無視されたとすれば、公明党の自民党への視線がさらに冷淡になることは確実だ。自民党が次の衆院選で過半数を取れず、民主党の第一党の座を譲り渡すことになれば、公明党と自民党の関係が決定的に変わることは避けられない。

 内閣支持率低迷の上に、解散見送りで矢面に立たされる弱体化した政権が、国会での激しい攻撃や、連立政権内での公明党の冷たい態度に耐えられるかどうか。通常国会冒頭の衆院解散や、麻生首相が安倍、福田に続いて政権を再び投げ出す可能性すら出てきた「金融危機政局」である。

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2008年10月25日 (土)

◆政治情勢レポート(1)◆2008年10月25日

 ●総裁選「失敗」と金融危機で解散先送り

 麻生首相は当初、就任後の臨時国会冒頭の10月上旬に衆院を解散する腹づもりだった。10月10日発売の月刊誌「文藝春秋」に寄せた手記には「国会の冒頭、堂々と自民党の政策を(民主党の)小沢(一郎)代表にぶつけ、賛否をただした上で国民に信を問おうと思う」と書いている。

 首相は9月29日の所信表明演説で、手記の通り、麻生内閣が取り組む政策課題を列挙し、小沢氏に賛否を「逆質問」している。このことから推測すると、首相は10月1-3日の各党代表質問などで小沢氏の回答を聞いた上で、解散に踏み切る腹積もりだったようだ。

 これに待ったをかけたのが、総裁選の失敗と、金融危機だ。

 自民党は当初、福田首相退陣 → 自民党総裁選 → 麻生首相誕生という流れの中で、自民党への注目度を集め、内閣支持率が高いうちに一気に解散に踏み切る「臨時国会冒頭解散シナリオ」を書いていた。

 しかし、麻生氏の圧勝が確実だった総裁選は「出来レース」との批判を浴びて盛り上がりを欠き、内閣支持率は自民党が期待したほど上がらなかった。例えば、共同通信世論調査では内閣支持率は48.6%で、昨年9月の福田前内閣発足直後の57.8%を下回った。

 一方、自民党は9月下旬に独自の世論調査を行った結果、自民党は220議席程度にとどまり、200議席の大台を割り込む可能性もあるとの調査結果が出た。これが自民党内に伝わったのが10月上旬。以降、冒頭解散もしくは早期解散の流れは一気にしぼんだ。

 これに追い打ちをかけたのが、金融危機だ。何も対策を打つことなく、衆院解散・総選挙に踏み切れば政治空白が出来、国民から批判を受けるのは確実であり、麻生首相は追加の経済対策を矢継ぎ早に指示した。つまり、金融危機で「選挙どころではない」のである。

 追加の経済対策を矢継ぎ早に支持した背景には、「経済に強い麻生」を演出し、近く行われる衆院選で支持を集めようという思惑があるのかも知れない。

 しかし、大恐慌並みといわれる今回の金融危機は、そうした思惑をも吹き飛ばし、麻生首相の解散権を確実に縛りつつある。

 ●年内総選挙なら11月30日が限界

 年内に総選挙を行うには、11月30日が限界とみられる。自民党の笹川尭総務会長は「12月7日までは許容(範囲)」と述べているが、12月に入ると外交日程が山積し、税制改正、予算編成作業が控えているからだ。

 首相は10月30日に記者会見して、金融危機に対応するための追加経済対策を発表する段取りだ。この日に2008年度補正予算が成立する見通しで、首相がこの記者会見の中で衆院解散にどう言及するのかが注目される。もし、解散を明言すれば、11月18日公示、11月30日投開票の日程で衆院選が行われる。

 ただ、首相は、先延ばしされてきた日中韓首脳会談を12月6、7両日に、首相の地元・福岡市で開催することを中韓両国に打診し、了解を得た。

 もし11月30日に衆院選を行い、自民党が負ければ麻生氏は首相の座から降りることになる。そうした可能性がある中で、首脳会談に招いたとなれば外交儀礼上失礼になるので、首相はひょっとしたら、11月30日の衆院選は考えていないのかも知れない、との憶測を呼んでいる。

 首相が11月30日の衆院選を見送れば、考えられる次のタイミングは来年一月召集予定の通常国会冒頭解散、2009年度予算が成立する来年4月解散、通常国会の会期末(来年6月)解散、来年9月の衆院議員任期満了もしくはその近くでの解散だ。

 麻生首相が景気のことを考え、予算こそ内閣最大の仕事だと考えるならば、予算成立後の解散が現実的な対応だろう。 

 ただ、自民党と連立を組み、自民党が選挙での組織的な支援を期待する公明党は、来年の東京都議選(7月22日任期満了)を重視し、都議選と衆院選の間を最低3カ月間あけるように主張している。二つの選挙が近いと、支持者が十分活動できないとの理由からだ。

 麻生首相が公明党に配慮すれば、通常国会冒頭解散が有力なシナリオとなる。任期満了の場合でも、選挙を出来るだけ送らせれば、都議選との間がぎりぎり3カ月間開くようにも出来るらしいが、奇策であり、あまり現実的なシナリオではない。

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2008年10月24日 (金)

首相の品格

麻生太郎首相が夜な夜な、ホテルのバーやレストランなどに通い詰めていることの是非が、報道を賑わせている。

私自身、一国の宰相がホテルのバーに行くことが悪いとは思わない。たまに居酒屋で杯を傾けるのも、ご愛嬌かもしれないが、首相が毎晩のように居酒屋でいっぱいでは、首相という地位に抱く尊敬もあこがれ、威厳もなくなってしまう。

実際、警備の問題等を考えれば、ホテルというのは都合のいい場所である。国家の安全という意味からも、ホテルの利用はやむを得ないというか、むしろ望ましい。毎度のように居酒屋に通う首相だとしたら、国家に対するその見識を疑わざるを得ないだろう。

問題は、記者団が首相にホテル通いをただした10日24日昼のやりとりだ。

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/081022/plc0810221334005-n1.htm

この中で、首相は「そういう言い方を引っかけるような言い方やめろって。もうちょっと事実だけ言え。事実だけ」「あなたのおかげで営業妨害ですって言われたら、新聞社として私たちの権利ですっていって、それずーっと立って店の妨害をして平気ですか?今、聞いてんだよ。答えろ。フ、フ、フ、フ、フ」などと答えている。

麻生首相は、そのがらっぱちな物言いや、オタクぶりが売りなのかも知れないが、この口調は、とても一国の首相としてはほめられるものではない。つまり、品が全く感じられないのである。

その昔、首相は言葉の一つ一つをすごく大事にしていたように思う。大平正芳首相が「あーうー」を口癖にしていたのも、言葉を選んでいるからだと、本人がテレビのインタビューで語っていたことを思い出す。

もう自民党には、首相然とした政治家はいないのであろうか。このようなことが報道を賑わすのも、首相がなかなか衆議院解散に踏み切らないためでもある。

麻生首相は、首相としての自らの品格を問うためにも、そろそろ衆議院を解散して、国民に信を問うたらどうか。

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2008年10月13日 (月)

ネット論壇の可能性と限界

 佐々木俊尚氏の「ブログ論壇の誕生」(文春新書)を読み始めた。これを機に、ブログと論壇、特に新聞論説との関係について、考察してみたい。

 今、ブログで意見表明することが若い世代で一般化し、それが「論壇」とも呼べる状況を生み出しているようだ。これには、インターネット技術の進展や社会構造の変化など、様々な要因があろうと思うが、自由に意見が表明できるようになったことは、その内容の是非はともかく、歓迎すべきことだろうと思う。インターネット技術の進化は、直接民主主義の可能性をもはらんだ展開となるだろう。

その一方、新聞は販売部数が減り、広告出稿量が減っているが、これはブログ「論壇」の隆盛と無関係とは思われない。つまり社説を含めて、新聞の報道内容に対する信頼度が低下しているのではないだろうか。

 ネットの登場に伴い、特に若い世代の新聞離れが指摘されて久しい。ニュースはネットで見ればいいという風潮は、裏を返せば、わざわざ金を払ってまで読む価値がないと思われていることに等しい。

 若者の新聞離れの背景には、新聞が旧世代の代表であり、若い人たちの意見を反映していないと思われていることもあるように考える。新聞はロストジェネレーションと呼ばれる世代に、どれほどの共感を示し、社会に対して彼らに手を差しのばさせるような論陣を張ったのだろう。格差社会でもがく若者たちに対して「今の若い人たちは」などというステレオタイプなものの見方で切り捨ててはいないだろうか。旧世代の擁護は、若者ら新世代との世代間対立を激化させるだけだ。

 新聞の原点は、明治期の自由民権運動だ。その当時の立ち位置は、体制派ではなく、旧体制の打破にあったに違いない。その新聞が戦後60余年を経て体制化し、読者の喪失につながっている。若者からみれば、新聞すら打破すべき体制の一つなのかも知れない。

 もちろん、これまで新聞が多様な言論を守る砦になってきた、そして今後もなり続けることも事実である。新聞がなくなった社会はどうなるのか、容易に想像がつく。社会悪を誰が告発し、社会に知らしめ、体制を動かすのだろうか、と。その部分のすべてを、ネットが担いきれるであろうか。現状では否であろう。その間、新聞の役割は、いささかも揺るぐことはない。

 かといって、今のままの新聞では自然死を待つようなものだ。新聞は今一度、創刊の原点に立ち戻り、ロスジェ世代を生んだ経済的、政治的、社会的要因を考え、それを克服するための処方箋を指し示すべきであろう。それが新聞を今一度、生まれ変わらせる唯一の道であると、考える。

(関連記事)http://tb.japan.cnet.com/tb.php/20383836

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2008年10月10日 (金)

参考●ノーベル賞の教訓

昨日書いた「ノーベル賞の教訓」に関連して、伊東乾・東大准教授の洞察深い記事「日本にノーベル賞が来た理由 幻の物理学賞と坂田昌一・戸塚洋二の死」を見つけましたので、参考記事としてリンク先を紹介します。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20081009/173322/

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2008年10月 9日 (木)

ノーベル賞の教訓

 日本人がノーベル物理・化学賞を相次いで受賞した。特に物理賞は、3人同時受賞という快挙だ。受賞された先生方に、まずはお祝いを申し上げたい。

 今回の日本人による受賞は、世界経済が資本主義の暴走で先行きの不透明さを増す中で、日本社会に明るさを与える好材料であることは論を待たない。と同時に、いくつかの教訓を示していると思うので、思いつくままに述べてみたい。

 まずは、基礎科学研究の重要さだ。今回の受賞、特に物理学賞の対象となった研究は、直ちに経済的利益が出なくても、長期、かつ多岐にわたる研究の土台となったものである。昨今、短期間のうちに成果を求める風潮が強いが、今回の受賞は、そうした風潮に警鐘を鳴らすものだ。

 もう一つの教訓は、前述のものと関係があるのだが、今回の受賞者4人のうち、2人がアメリカ在住であるということだ。このことは日本での研究環境の未成熟さを表しているようでならない。渡米した理由はそれぞれあろうが、日本で研究のための資金も設備も人材も豊富なら、わざわざアメリカには行かないだろう。

 日本政府には、社会科学を含めて、より一層の基礎科学研究への投資を求めたい。化石資源のない日本では、人材と技術だけが、生き残るための資源である。人材流出は、資源の乏しい日本にとって、死活問題なのである。

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2008年10月 7日 (火)

東国原知事の逡巡

 日教組などに対する発言の責任を取って辞任し、次期衆院選に立候補しない意向を表明した中山成彬前国土交通相の後継候補として、宮崎県の東国原英夫知事が宮崎1区からの立候補に、一時意欲を示していた。

 立候補するか否か逡巡していたが、結局、断念したようなので、そのこと自体は歓迎したい。とはいうものの、そもそも立候補に意欲があるとみられるような発言をしたこと自体、評価できるものではない。

 その理由の一つが、知事はまだ一期目途中であるという点だ。マスコミでもてはやされているとはいえ、どんな仕事をやり遂げたのだろう。これが成果だと胸を張って言えるものがあるのであろうか。国政に続く、任期途中での「知事の椅子」投げ出しは、政治不信を深めるだけではないのか。

 さらに、県知事は国政のステップではないという点だ。確かに、地方分権が進んでいない以上、国が都道府県の上部機関であるという位置づけに変わりはない。国が変わらなければ、都道府県政が変わらないのも事実だ。

 しかし、これまでも多くの都道府県知事が国政に転出したが、それにより、地方分権は飛躍的に進んだのであろうか。むしろ、都道府県の側で声を上げることの方が、国を動かす力になるのではないか。その点では、石原慎太郎都知事の国に対峙する姿勢を評価したいと思う。その政治姿勢、信条は別にして。

 もし、東国原知事が県知事を国政へのステップと考えているなら、大きな勘違いである。国政への転出に、県民から反対意見が多数寄せられたそうだが、その民意は知事への警告でもある。

 宮崎県民が誰を知事に選ぼうが自由だ。選挙の結果は当然、尊重されなければならない。しかし、私個人は素直に、東国原知事を評価する気にはなれない。それがなぜか、具体的な理由を明示しなければ、説得力を持たないだろうが、積極的に評価できる要素が、個人的にはどうにも見当たらない。タレント政治家というものを、どうにも受け付けないのである。

 そんな人物が、国政の場に出てくることは、今回は避けられそうで、一安心している。とりあえず、宮崎県民の良識に敬意を表しておきたい。

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2008年10月 3日 (金)

議場の神聖性

 麻生太郎首相の所信表明演説への各党代表質問が終わった。論戦はいつものようにかみ合わず、低調だったようだが、議論の内容は一時、横に置いて、議場の神聖性について考えてみたい。

 というのも、麻生首相、中川昭一財務相が議場を相次いで退出する際、一礼していたところをテレビ中継が映し出していてからだ。彼らは議場に入るときも一礼していたことだろう。そのこと自体、右傾化しているといわれる彼らの政治思想の是非は別にして、歓迎されるべきだと思う。

 議場、特に国会の本会議場は、国民の代表が議論を戦わせる神聖な場所である。形式的であるにせよ、この国の方針はすべて国会の議場で決まる。時には、国民の生殺与奪をも握る。そんな重要な場所が、世俗にまみれていていいわけがない。

 今、国会議員と呼ばれる人たちの中で、真に尊敬できる人間が、どれほどいるのだろう。少なくとも議場を神聖な場所と思っていれば、その立ち振る舞いにも、自ずから品格が出てくるはずだが、そうでないところをみると、議場の神聖な場所だとは思ったこともないのだろう。政治不信、自らの代表であるはずの国会議員に対する国民の不信は、案外、そうしたことに起因しているのかもしれない。

 武道場はもちろん、野球場など「戦いの場」に、選手が一礼して入るのは、礼節を重んじるこの国では常識化している。むしろ、議場でそうした慣例がないこと自体が不思議だ。私自身、麻生氏や中川氏ら、自民党内で保守と呼ばれる人たちの主張に、すべて同調するわけではないが、礼節を重んじることは、人間として、社会人としての当然の姿勢だと思う。

 国会議員、さらには地方議会の議員にも、その思想信条にかかわらず、議論を戦わせる議場を神聖な場所だと意識していることを表現してほしい。それが政治への信頼を回復する第一歩ではないかとの思いを、昨今の政治状況をみて、強くしている。

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2008年10月 2日 (木)

麻生首相「代表質問」の愚挙

麻生首相就任後初の所信表明演説は、野党第一党・民主党の小沢代表に質問を突きつける内容だった。これに対し、小沢氏は政権奪取時の構想を示す内容で、さながら所信表明演説だった。主客逆転した状況に、衆院選を目前に控えた緊張感が漂う。

 首相の「代表質問」には、野党側の見解をただし、あわよくば解散の口実を作るとの思惑が透けて見えるが、それが妥当だったかどうかには疑問が残る。民主党代表の「所信表明演説」はこれまでにも例があり、珍しいものではないが、民主党の出方に関係なく、首相なら堂々と国民にその所信を訴えるのが筋だったのではないか。総選挙に向けた余裕のなさが現れ、選挙にも逆効果だと思うのだが、これは要らぬお節介か。

 本来なら、党首同士の丁々発止のやりとりは、党首討論でしてほしかった。小沢氏が自ら作り上げた制度にもかかわらず、いつも避けようとすることも、首相が本会議で「代表質問」の愚挙に出た理由の一つだ。小沢氏も堂々と党首討論に応じてほしい。

 国民の信を得ていない政権が続き、国会のねじれが解消しないことが最大の政治空白であり、一日も早い衆院解散・総選挙が望まれるのは論を待たないが、金融危機など事ここに及んでは党利党略にうつつを抜かしている場合ではない。解散を一時先送りしてでも与野党が力を合わせてこの危機を乗り越えるべきだ。民主党にとっても、国民に政権担当能力を示す機会だと思うのは、私だけであろうか。

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